静かな昼下がりだった。
秋の柔らかい陽射しが窓辺に注がれ、風がレース状のカーテンの裾を
そっと泳がせている。
キティ博士は、研究所の居室で、お気に入りの紅茶を片手に書物に集中していた。
冷静沈着なキティ博士であるからして、アクシデントの咄嗟の対応には機転が利く。
宇宙は平和を取り戻したものの、日常生活に些細な事件など付き物だ。
「コラァッ!今日という今日は本当に怒ったぞっ」
研究所の庭園の方から、クーゴの大きな声が聞こえて来る。
その声と重なって、可愛らしくはしゃぐ子供の声も。
キティ博士は書物から目を離し、その声のする方へ振り返り微笑んだ。
こちらの方へ向かって、楽しそうに笑いながら駆けて来る女の子と、それを追って
来るクーゴの姿が目に入った。
キティ博士は出窓に腰掛け、開いた窓から眼下のクーゴに向かって話し掛ける。
「クーゴ、今日は何事ですか」
そう問いながら、キティ博士は何でも知っていると言いたげな、余裕と慈愛の笑みを
投げた。
「ああ、キティ博士」
見上げて答えるクーゴは、しっかりと子供の手を捕まえ、身をよじりながらまだ
はしゃいでいる彼女をたしなめる。
「こらっ、ラーラ。おとなしくしてろって!」
キティ博士は、クーゴの手にしたアストロボーがいつもと違う風情なのに気付いて、
思わず吹き出してしまう。
「なるほど。今日のラーラのターゲットは、アストロボーだったわけですね」
クーゴが、面目無いという表情で頭を掻いた。
アストロボーは、赤から青から緑、ショッキングピンク、黄色と、色とりどりの
マーカーで滅茶苦茶に彩色され、花飾りが両端に添えられていた。
研究所の敷地を改造して、1000平方メートルほどの庭園を設けたのは、
2年前のことだった。
ラーラはもうすぐ4歳になろうとしている。早いものだ。
キティ博士は3年半前のことを思い出していた。ラーラと出会った日を。
オーロラ姫との大王星への旅が終わり、クーゴは私達と共に地球へと帰還した。
その後のクーゴは、私達の手となり足となり、研究所のことから地球全体のこと、
果ては銀河系全体の色々な手助けをかって出てくれている頼もしい存在だ。
けれどクーゴは、どんなに忙しく、また何をしていようと、
―― 心の奥に明いた穴を塞ぐのは、無理もない、不可能なのだ ――
時々ひどく淋しそうな目で、空を見ていることがあった。
そんな時に、あのラーラが現れてくれた。
キティ博士の表情が、切ないものから優しいものへと変わった。
ラーラは、3年半程前に研究所の一角に夜置き去りにされた、推定4ヶ月の
赤ん坊だ。見つけたのはクーゴだった。
早速キティ博士の元に連れて行き、相談をすると、親の手がかりを見つける迄の間、
研究所で何とか面倒を見ようということになった。
博士も忙しい身。その上、いくら5歳からのオーロラ姫を育てた経歴の持ち主とは
いえ、こんな生まれて間も無い乳児は扱ったことが無く、苦労は目に見えている。
月日が経過して行き、一同は考えに考えた末、一度はちゃんとした専門の施設に
委ねようかという案も出たのだが、その時意外にも反対を唱えたのがクーゴだった。
「俺も孤児で施設に入れられた。その時の辛い思いは一生消えねえ。
キティ博士、俺が外を飛び回ってる間は世話をお願いするが、それ以外は
俺も協力します」
キティ博士は目を見張った。
これが、あの手の付けられなかった暴れ者のクーゴとは。
何て誇らしく、立派になって。
「クーゴ。そうは言っても、こりゃあ簡単なことじゃないんだぞ。モンスターを倒す
よりも難しいことじゃよ」
ドッジ助教授も、クーゴの成長振りに感動しつつ、一応の釘は刺す。
キティ博士は落ち着いた口調で優しく、だが毅然とクーゴに言った。
「わかりました、クーゴ。では、あなたの言う通りにしましょう」
「本当ですか、博士!」
クーゴの顔が晴れやかに輝く。
「ただし」
ちょっと含んだような眼差しのキティ博士。
「この子の父親におなりなさい、クーゴ。私の役目は、あくまでもその補佐です」
自分で望んだ以上、キティ博士に反論など言えない。
クーゴは時々、しまった・・・と思い苦戦しながらも、何とかパパ代行を務めている。
本当の親はとうとう見つからないまま、現在に至っている。
赤ん坊はラーラと名付けられ、皆からの愛情を一杯に受け、すくすくと成長し、
毎日笑いと悲鳴が絶えない。
風は穏やかにそよぎ、傾きかけた陽が美しい色を空に残して行く。
緑豊かな庭園は、ラーラのために造ったようなものだ。
そこで今、クーゴとラーラが楽しそうに遊んでいる。
キティ博士とドッジ助教授もそばまでやって来て、そんな幸せな光景を見守っていた。
「どじじょきょうじゅーーーっ」
存在に気付いたラーラが、こちらに向かって手を振る。
「ドジじゃな・・・、ハイハーイ、ラーラ♪」
訂正したいが、さすがのドッジ助教授もラーラにかかっては形無し、目尻も
下がるばかりである。
「まったくクーゴのヤツ、どーいう教育をしとるんじゃ・・・」
ブツブツ言う姿に、キティ博士が横を向いて笑いを押し殺す。
「でも良かったですね、ドッジ助教授。あの二人を見ていると安心するでしょう?」
「そりゃあもう、キティ博士。クーゴも一時はどうなることかと心配で心配で・・・。
ラーラは孫のように可愛いし、クーゴにとっても新しい生きがいになってくれてる
ようで、わしゃとても嬉しくて」
目尻を拭うドッジ助教授は、変わりなく優しい。
キティ博士は何も言わなかったが、微かに微笑んでみせた。
そして、夕暮れの西の空を見上げて思った。
―― オーロラ、世界は確実に変化を続けています。
あなたが守ってくれているこの平和な毎日は、いつまでも続いて行くことでしょう。
クーゴも頑張っていますよ。もう、淋しがったりせずに生きて行くでしょう。
あなたの名前から似た響きをもらって、クーゴが命名したラーラ。
私達はあの子を、あなたの娘だと思って、大切に育てて行きますからね。 ――
「あーーーーっっ!!」
キティ博士がしっとりと思いに耽っていたところへ、ドッジ助教授の叫び。
庭園のはずれの、ドッジ助教授が丹精込めて育てているプランツにも、
色鮮やかな染色を施した跡が。ご丁寧に、こちらはリボンが縛られている。
「トホホホ・・・。可愛いにゃ可愛いが、こう毎日悪戯が過ぎるのはどうもこうも・・・、
キティ博士」
ドッジ助教授の目尻は、上がったり下がったり忙しい。
「オーロラは手がかからない子でしたからね。余計、そう思うんでしょう」
キティ博士は、抑えきれずクスクス笑い出す。
「本当に。姫が天使なら、ラーラは今んとこ小悪魔って感じじゃなあ。やれやれ。
先は楽しみなんじゃが」
そうぼやきながらも、ドッジ助教授の目尻はまたもや下がりっぱなしである。
「さあ、寒くなって来たから、みんな中へお入りなさい」
キティ博士に促がされて、ラーラが飛び跳ねながら、座り込んでいたクーゴの首に
手を巻き付けて言う。
「パパぁ。キティはかせがおいでってー」
クーゴはそっと立ち上がり、愛娘の手を取って並んで歩き出す。
「競争するか?ラーラ」
ラーラの瞳がきらきらし、顔は薔薇色に高潮した。
「うんっ!」
スタートの合図も待たずにラーラは駆け出し、そのあとをクーゴが追いかけて行く。
皆が楽しく笑う明るい声が、こだまのように響き、その後ろ姿には夕日が優しく
温もりを与えていた。
明日もきっと、晴れるだろう。
●2002・10・15更新
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