水の惑星に雪が降る。
「冷えると思ったら、雪か」
ある日の夜、ジョーゴは、自室でコンピューターに向かっていた。
一息入れてコーヒーでも飲もうと立ち上がり、ふと窓の外に目を遣ると、
雪が降っていた。
「早春の雪か…」
呟いて、愛用の電卓を取り出し、何やら分析する。
ピッ!
「朝には5cmの積雪。ふむ。それほど通勤などには影響はないだろう」
「明日は休日だけどね」
突然、女性の声がした。
「リリカ、驚かすなよ。ノックをしろ」
しかし、ジョーゴは驚いた風でもなく言う。
「したけど、分析に夢中で気付いてないんでしょ」
リリカと呼ばれた女性は、カップを2つ乗せたトレイを持っている。
コーヒーの香りが部屋に広がった。
「その電卓、天気まで判るんだ」
言って、リリカはトレイをテーブルに置いた。
「当たる確率は99%だ」
得意げにウインクして、ジョーゴはソファーに座り、カップに手を伸ばす。
「サンキュー。いただきます」
タイミング良く持って来られたホットコーヒー。
心遣いが嬉しい。
リリカも、ジョーゴの横に座って、コーヒーを飲む。
「本当は100%って言いたいんじゃないの?謙遜して99%なんだ」
くすくす笑う。
肩までの黒い髪に、緑の瞳を持つ、ジョーゴよりは2、3才年下のリリカ。
2人並んでいると恋人同士と見えなくもないが。リリカは、ジョーゴの親友の妹で、
ジョーゴの妹・フローリアの友人でもあった。
フローリアが病気で亡くなる日まで、リリカはフローリアを訪ねて来ていた。
その後、水の惑星が崩壊して、ジョーゴは親友ともリリカとも散り散りに
なってしまった。
水の惑星の復興が始まった時、なんとか生き延びていた人達の中にリリカもいて、
ジョーゴと再会した時は互いに感激していた。
しかし、兄の消息を訊ねられた時。
兄はスペースモンスターと戦って死んだ、と言った途端にリリカは泣き出した。
兄の死を悲しむ暇もなくモンスターから逃げ、生きることに必死だったが、
知人であるジョーゴと再会して、心の箍がゆるんだ。
号泣するリリカに、それ以上は何も訊ねず、ジョーゴは彼女をそっと抱き締めていた。
日が経つにつれて、落ち着いて来たリリカ。
ジョーゴにとっては妹みたいな存在で、復興に駆けずり回る彼を、
彼女はサポートしていた。
ジョーゴの家に、リリカは家事をしに来ていたのだが、
一緒に住んだ方が何かと便利、というわけで現在に至っている。
「積もったとしても、春の雪だから、すぐ溶けちゃうかもね」
季節は、春になったばかりだった。
ピッ!
「明日は晴れ。昼までには溶けるな」
「ジョーゴってば、天気予報のお兄さんでもイケるよ。
予報士としてデビューしたら?」
「そうだなー。宇宙の気象も任せろってか」
他愛のない会話で、夜は更けて行く。
翌日、空が白み始めた頃、ジョーゴの姿は湖のほとりにあった。
家から数分歩いた所に、湖がある。
正確に言うと、湖の近くの場所が気に入って、家を建てた。
電卓の出した答え通り、道には雪が5cmほど積もっていた。
凍るほど冷え込まなかったのか、湖に氷は張っていない。
湖面は周りの木々から散った、赤い花びらで染まっている。
まだ木にも咲いていて、赤い花に白い雪が積もっていた。
「クィンシーの赤い花。もう散ってるのか」
赤い花に白い雪。さぞかし綺麗だろうと思い、
ジョーゴは雪が溶けないうちにと、見に来たのだった。
クィンシーの花期は、冬から早春にかけて。
冬の間、寒さの中で力強く咲いている花が、フローリアは好きだったのだ。
体の弱い自分に勇気を与えてくれるようで。
妹の好きな花が、もう散り始めたのは寂しいが、
湖面に花びらが浮いている様も綺麗だと、ジョーゴが感じていた時。
くしゅん。
可愛いくしゃみが背後で聞こえた。
振り返るとリリカがいた。
「おはよ。ごめんね。物思いの邪魔しちゃった?」
リリカはジョーゴの隣に立った。
「おはよう…もしかして、お前もクィンシーの花を見に来たのか?」
「うん。雪が積もって綺麗かなと思って。フローリアが好きだった花に」
リリカも覚えていたのだ。友人の好きな花を。
「赤と白のコントラストが綺麗だよね。うわぁ、湖まで赤い!」
リリカの言葉に、ジョーゴははっとした。
再会して間もない頃のリリカは、夕日を見てさえ、パニックを起こしていた。
あまりに赤い物は血に見え、兄の死を思い出して。
「リリカ、大丈夫か?」
「平気。鮮やかな赤で、綺麗だよ」
にっこり笑って言うリリカに、ジョーゴはほっと安心した。
「でも、もう散り始める時期なんだね…」
「ああ、花は終わりに近いが、夏には黄色い実をつける」
「そうだよね。クィンシーの木は、生き続けてるんだもんね」
そう言ったリリカは、屈んで雪を手に取った。
「うーん…不思議だねー」
「何がだ?」
「雪は、触ると冷たいけど、見てると暖かく感じる事もあって、不思議」
「それは心で、暖かいと感じてるんだ」
「そっか。春の雪は暖かいって、心が感じてるのね」
「暖かい雪か…」
言われて、ジョーゴの脳裡に浮かんで来たのは、フロメダ。
ギララ星系にあった雪の星に住んでいた雪の精。
冷たい心と冷たい肌と冷たい息しかないと、嘆いていた女性。
けれど彼女が言うほど、心は冷たくなかった。
ジョーゴを助けると言う優しさも持っていた。
――暖かい雪もあるんだ、フロメダ――
短い時間だったが、心の交流はしっかりとあった。
――フロメダ、俺は忘れないよ、君のことを――
暖かい心を持った美しい雪の精を。
黙り込んでしまったジョーゴを見上げて、リリカは複雑な気持ちになった。
(大王星の女王様のことを想っているのかしら)
ジョーゴの切なそうな表情を見て、そう思った。
大王星まで旅したこと、今の平和が新しい大王星の女王によって
もたらされていることを聞いて。
そして、旅の仲間だったジャン・クーゴとドン・ハッカがたまに訪ねて来て、
ジョーゴと語り合うのを聞いて。
3人がいかに大王星の女王のオーロラを敬愛しているか、リリカは知っていた。
会ったことはないが、きっと素晴らしい女性なのだろう。
(ジョーゴが愛している女性だもんね)
そう考えると、リリカの胸が微かに痛む。
しかし、平和になったからこそ、ジョーゴと再会出来たのだ。
大王星の女王には、嫉妬より、感謝の気持ちが大きい。
くしゅん。
リリカはまたくしゃみをしてしまった。
「おい、風邪引いたんじゃないだろうな?」
「んー、大丈夫だってば」
熱はないかと額に当てられたジョーゴの手を軽く払う。
「無理するなよ」
笑ってリリカの頭を優しく撫でるジョーゴ。
昔と変わらない接し方。
(妹扱いかぁ…でも、そばにいられるんだもん。多くを望んじゃいけないよね)
リリカは自分に言い聞かせる。
「本当に風邪を引かないうちに帰るか」
「あー、待って。朝日が昇って来るよ。またまた綺麗!」
木々の間から射し込む光が、湖面を輝かせている。
「カメラ、カメラっと」
リリカはポケットから小型カメラを取り出した。
「なんだ。わざわざ持って来たのか」
「うん。雪が溶けないうちに撮っておこうと思って、早起きしたの」
雪が積もったクィンシーの赤い花、赤く染まって輝いている湖。
それらをカメラに納めて、リリカは満足したようだった。
「今日は休みだし、朝食を食べたら、遊びに出かけるか?」
「やったぁ。じゃあ、早く戻ろうよ」
リリカは弾んだ足取りで歩く。
「リリカ、滑って転ぶなよ」
歩き出したジョーゴの前に、赤い花びらが幾つか舞い降りた。
「フローリア…?」
ジョーゴは湖の方を振り返る。
お兄様と、ジョーゴさんと、呼びかけられたような気がする。
「フロメダ…?」
朝日に照らされた雪が光っていた。
「ジョーゴってばー、早くー」
リリカが呼んでいる。
「ああ、いま行く!」
ジョーゴは走り出した。
春の陽の光を浴びて、少しずつ溶け始めた雪は、惑星を育む水に変わる――。
●2003・1・21更新
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