―― 逢いたい。もう一度。ひとめでいいから・・・ ――
変わらない平和な暮らし。
美しい自然、静かな時間。穏やかな穏やかな毎日。
そう・・・。これが。この世界を守り続けて行くことが
私の役目。私の、義務。
・・・ 義務 ・・・
オーロラ姫のたおやかな愛らしい顔つきが、一瞬だけ
翳った。けれど、すぐ凛とした元の彼女に戻る。
皆の幸せが自分の幸せなのだと、健気過ぎるほどに
思いつめるオーロラ姫だった。
だが、そんな強さと裏腹に、オーロラ姫の足はいつしか
ある場所へと向かっていた。
東の丘に設置された、宇宙船の格納庫。
クィーンコスモス号は今もそこに有る。
キティ博士がここを去る時に、オーロラ姫にこう言った。
― あなたと一緒に頑張って来たクィーンコスモス号です。
ここに置いて安らかに見守ってあげて下さい。 ―
東の丘まで来て、オーロラ姫は立ち止まった。
青いドレスの裾が風にそよぐ。金色の髪もそれにならって。
勇気が必要だった。しかし、意を決して、格納庫のハッチを
そっと開く。夢のようだった時間を一緒に過ごして来た、
クィーンコスモス号がその姿を現した。
４年振り、だろうか。中に入るのは。
旅を終え、ひとりになってから、寂しくて一度だけ訪れてみた。
けれど、皆の居ないコックピットやダイニング、主を失った３機
のマシンの格納庫、すべてが余計切なく映りたまらなくて、
あれからずっとオーロラ姫はここを封印してしまっていた。
でも、もう違う。オーロラ姫は強くそう思った。
ひとりでも充分強くなったと。大丈夫なんだと。
今日ここに来たのは、それを自分に言い聞かせるためだと。
オーロラ姫は、何でもない素振りをして、過ごした空間を
一巡して行く。そして、最後に自分の部屋に入る。
赤いカーテンとピンクのベッドルーム。
キティ博士が、地球にいた時の自分の部屋と余り違和感を
感じないで済むよう、敢えてそういうインテリアにしてくれた。
部屋の奥のスクリーン。この前に立って、何度キティ博士と
交信したことか。
オーロラ姫は、ふと、そばの赤いソファに目をやった。
ソファの背もたれ部分に、小さな痕が二つ確認出来る。
それを見たオーロラ姫は一瞬立ちすくみ、そして顔色を変え
ソファへと駆け寄った。
小さな、手術用のレーザー銃の痕。
クーゴの腕の傷をオーロラ姫の手で治療した際、揺れる船内で
よろけた時にそれて当たったものだ。
手を伸ばし、その痕にそっとオーロラ姫はふれてみた。
その瞬間、オーロラ姫の瞳に、それまでずっと抑えていた熱い
ものが怒涛のように押し寄せ、込み上げた。
涙は止め処もなく頬を伝わり落ち、それまで堰き止めていた
何かが行き場を失い、ひとおもいに溢れ出す。
―― 逢いたい！もう一度。ひとめでいいから・・・！ ――
閃光のように、想いはオーロラ姫の全身を駆け巡った。
オーロラ姫は、いつしかコックピットのシートに座り、操縦パネル
に対峙していた。
青い女王のドレス姿のままに、ただ一途な眼差しをして、
操縦桿を作動させた。
クィーンコスモス号は発進した。昔のように。
コンピューターシステムによって管理され、整備された状態に
なっていたコスモス号は、４年もの間息を潜めていたのが嘘の
ように、一気に宙を滑って行く。
どのくらい来たのだろうか。
張り詰めた心の糸が切れてしまって、こんなことをしている。
どこへ行こうとしているのか。それはたったひとつ・・・。
その時だった。オーロラ姫の耳に、懐かしい交信音が響いた。
「キティ博士！？」
急いで交信スクリーンの元へ走るオーロラ姫。
体の中に、今でも条件反射のように反応してしまう音が
潜んでいる。
スクリーンいっぱいに、懐かしいキティ博士が映った。
急いだあまり乱れた髪が、美しい頬にかかり高潮している
オーロラ姫の顔を見て、キティ博士はすべてを読み取った。
「・・・ キティ博士」
オーロラ姫はそう一言呟いて、涙をこぼした。
「大丈夫ですか、オーロラ姫。・・・でも元気そうでよかった」
何をしようとしている？とも、どうしてそんな行動を？とも
聞かない。ただ心配してくれている。
いつかこういう日が来てしまうかもしれないと、キティ博士には
判っていたからだ。
そんなキティ博士の様子に、オーロラ姫は我に返って自分を
恥ずかしく思った。
「ごめんなさい、キティ博士。オーロラはどうかしていました。
・・・キティ博士のお顔を久し振りに見られて安心しました」
涙の消えていない瞳で、懸命に堪えて話を続けながら、
自分を戒めようと努力している姿に、キティ博士は胸が痛んだ。
「これからすぐ大王星に戻ります」
そう言ってうつむくオーロラ姫に、キティ博士が促がした。
「オーロラ姫。あなたにも少し気分転換が必要なのです。
無理に戻らずに、少し散歩でもしてからお帰りなさい。
そこから右３７度の位置にセレナという惑星があります。
美しい星です。そこで休んで、少し考えるといいでしょう」
「姫は大丈夫でしょうか、キティ博士」
いつしかドッジ助教授が、キティ博士の傍らに来て言った。
キティ博士はまるで菩薩のような微笑でスクリーンを見上げ、
ドッジ助教授に答えた。
「クーゴは今ギルダー星系で仕事中ですか。切り上げてすぐ
惑星セレナに向かうよう伝えて下さい」
ドッジ助教授は躊躇したが、察知して了解した。
「姫がいるってことは、伝えたほうがいいでしょうかキティ博士」
「一刻も早く向かって欲しいですね。任せます」
それだけ言うと、キティ博士は部屋を出て行った。
ロビーをひとり歩きながら、キティ博士は昔のことを思い出して
いた。遠い昔。まだ科学者として歩き出したばかりの自分。
― あの子の今の心は、昔の私。
後悔しないよう、最初で最後の決断をしなければ。
このままでは、どこへも行けない。 ―
ロビーを出て、研究所の外へ踏み出すと、月明かりの
眩しい夜だった。初夏の風が肌に心地良い。
星空を見つめてキティ博士が溜息をひとつついた。
ドッジ助教授はあとから静かにキティ博士に近づき、報告を
する。というより、気になって仕方がないことを敢えて聞きに
やって来たとも言える。
キティ博士らしくない行動だなとは、思う。真意が知りたい。
「ドッジ助教授」
キティ博士は振り向かず、星空を眺めたままで静かに言った。
「私に昔、とても好きだった人がいました。けれど、科学者に
なる夢と引き換えに恋を捨てようとしたのです。なのに、心に
残る想いがどうにもならず、最後に会いに行きました。
会うまでは、会ったらかえって辛くなると思っていましたが、
違いました。あの行動で、すべてが吹っ切れて自分の気持ちが
昇華したのです。あらためてひとり科学者としてやって行く覚悟
が出来ました。正しい選択をしたと今は思っていますよ」
キティ博士の髪の飾りが風に揺れ、後ろ姿が何故か儚く見えた。
ドッジ助教授は感無量で言葉に詰まった。下を向いたまま
ようやく言葉を絞り出す。
「キティ博士にそんな素晴らしいロマンスがあったとはわたくし
知りませんでした・・・いや・・・何と申してよいかその」
キティ博士は顔だけ振り返り、少し笑った。
「昔の話ですよ。想い出は美しいものです。そうでしょう？
ドッジ助教授」
キティ博士が勧めてくれたセレナという星へ、素直に
オーロラ姫は向かっていた。
窘められたり、発破を掛けられなかったことが、かえって
辛くオーロラ姫の胸に圧し掛かっている。
自分の力で自分を律しなさい、と、いつもキティ博士には
教えられる。だが、本当の母のように暖かい。
キティ博士はあんなにも立派に、ひとりで立っているのに
私は・・・。そう思いながら、オーロラ姫は唇を噛んだ。
オーロラ姫は、静かに昔のことを思い出した。
旅をしている間も、ずっと抑えて来たのかもしれない。
三人共、命まで懸けて自分のことを守ってくれている。
だから、どんな時も、どんな場合でも、対等に愛していると
表さなければいけない。それが、自分の役割だったのだ。
決して、誰かが一番だなどと、示したりしてはならない。
耐えなければ。ともすればこの想いを表示したくなる衝動を、
制して生きていかなければ駄目。
ベムラの陰謀で引き離されそうになった時、クーゴの
深い愛情を知ってから、・・・いや、もしかしたら、はじめて
出逢った時から自分はクーゴに惹かれていたのかもしれない
と、オーロラ姫は確信したかのようだった。
手のかかる、やんちゃな問題児。だけど、いや、だからこそ
一番愛しいと思ってしまう不思議。
考えれば考えるほど切なくなって、自分を元に戻そうとする
気持ちと、哀しい女心が交錯したまま、オーロラ姫を乗せた
クィーンコスモス号はセレナへ辿り着いた。
セレナは、教えられた通り、或いはそれ以上に美しく静かで、
地球にどこかしら似ている星だった。
見たことのない鮮やかな花々と深い緑。暖かな気候。
時は夜なのに、星の光が明るく全体を照らす。
花に囲まれた一角に、オーロラ姫は腰を下ろした。
纏っていた上衣を外し、ブルーの薄布のドレスだけになっても、
変わらずに優美で気品に満ちている。
抜けるように白く細い指先で、そっと髪を払いのける仕草も、
憂いを帯びた青い瞳も、可憐でありながら少し痛々しい。
たったひとりで、知らない星で、自分を見つめながら、
それでも気丈に立ち直ろうとしているオーロラ姫だった。
随分時間が経ったのか、それともやって来てまだそんなに
経過していないのか、判断がつかない。
それでも、癒してくれる緑の濃い香りに心が解きほぐされ、つい
うとうとと目を閉じて休んでいたオーロラ姫が、遠くからする
懐かしい声に気付いて上体を起こした。
「姫――――っ」
まさか？どうして・・・？
でも、あの声は紛れもなく・・・。
大きな声で、確かにクーゴが自分の名を呼んでいる。
何も口に出せず、呆然と立ち尽くしているオーロラ姫に
クーゴが空から気付いた。
スタークローは方向変換し、降下する。
着地するが早いか、飛び出すのが先か、一目散に
クーゴはオーロラ姫目指して駆け寄って行く。
オーロラ姫はまだ言葉が出ない。けれど、その代わりに
真っ直ぐクーゴを見つめて涙を流した。
「・・・姫。どうしたんだ、何があったんだ？」
４年振りに再会したというのに、そんな距離をまるで
感じさせないくらい、クーゴは自然だ。
何も変わらない。真っ直ぐな瞳。精悍な顔立ち。
でも、どこか表情が優しく柔らかく見える。
美しい筋肉は衰えようもなく、なびく髪は生き生きとして。
頭の金色の輪だって、昔のままだ。
もう必要ないのに・・・ ふと笑みがこぼれそうになる。
でも、それを外さない理由が痛いほど伝わって来て、
胸の奥が締めつけられそうに切ない。
だが、ぎりぎりのところでオーロラ姫は理性を取り戻した。
涙をそっと拭って笑顔さえつくり、目の前にいる愛しい男に
こう言うしかなかった。
「クーゴさん・・・ごめんなさい。心配させてしまって。
これでは、平和を守って行く者として失格ですね・・・」
「姫・・・」
オーロラ姫は、静かにクーゴの手を取り、握り締める。
「来てくれてありがとう、クーゴさん。
久し振りにあなたに逢えて本当に良かった・・・。
もう、私は帰ります。クーゴさん、お元気で」
それだけ言い放つとオーロラ姫は、踵を返し、コスモス号の
ある方角へと行こうとする。
しなやかな後ろ姿はゆっくり去ろうとしていたが、オーロラ姫は
溢れ出す涙を止めることが出来なかった。
クーゴは黙っていた。オーロラ姫のいたいけな背中を見つめて。
本当は解っていた。オーロラ姫の気持ちも苦しみも。
そして、遂に、愛しい人の名を呼んだ。
「姫、こっちを見てくれ」
その声に、オーロラ姫は立ち止まる。でも振り向けない。
ただひたすら、涙だけが流れ続ける。
ゆっくりと近付いていくクーゴ。
涙のオーロラ姫が、そっと振り返る。
次の瞬間、クーゴがオーロラ姫を抱きしめた。
「逢いたかった・・・姫」
クーゴの声も震えている。
「クーゴさん・・・！」
オーロラ姫の華奢な両腕が、しっかりとしたクーゴの肩と
背中を強く抱く。
はじめて二人の気持ちがひとつになった瞬間だった。
星の煌きは眩しいほど明るく、草木は先刻よりも香り立ち、
日が落ちると閉じてしまう花びらを持つ花までもが、一斉に
咲き始めた。
クーゴはオーロラ姫を見つめる。たまらない優しい目で。
オーロラ姫は、涙の残った瞳に、喜びと頼りなげな色を
浮かべて顔を上げた。
そして、二人は静かにお互いの目を閉じた。
“愛してる”
言葉にならない心の叫びがそこには有り、夢のような瞬間
でもあった。
緑と花と星に守られて、二人は横たわっていた。
クーゴの力強い腕が、オーロラ姫を優しく包みこんでいる。
見上げる星空は輝き続け、二人を静かに見守ってくれている。
二人は時折見つめ合う。言葉は要らない。
そして、飽きることなく唇を重ねた。
いつしか空が白み始めていた。朝の気配。
愛し合う二人が、また別々の世界へと帰らなければならない
時が迫っていた。
もう、逢うことはないかもしれない。
でも、住む世界は違っても、想う心がお互いを強く、
いつまでも引き寄せていてくれるから。
以前の二人ではなく・・・。
たとえ逢えなくても、どんなに遠く離れていても。
もう、寂しくはない。
クーゴがもう一度、ありったけの想いを込めてオーロラ姫を
抱きしめる。
長い、長い、最後のKiss。
オーロラ姫の乗ったコスモス号は、大王星へと飛び立った。
クーゴはただひとり、セレナの大地を踏みしめて、
その行方を、遥か彼方を、しっかりと見つめている。
朝の陽光が、クーゴの顔を照らす。
涙は頬を伝っていたが、その表情には強い何かが
感じられた。
程無くして、クーゴもスタークローに乗り込み、地球へと
進路を取った。
「お帰りなさい、クーゴ」
クーゴの帰りを待っていたキティ博士は言った。
「キティ博士。・・・ただいま戻りました」
かけていた椅子から立ち上がり、キティ博士は優しく訊ねる。
「オーロラ姫は元気でしたか」
「はい」
クーゴは明るく微笑み、少しだけはにかんだ表情をして
それだけ言うと、自分の部屋の有る方へと姿を消した。
キティ博士は、クーゴの背中を見送りながら微笑む。
― 今まで見たことのないとても晴れやかな顔をして。
クーゴ。あなたもきっと、これでこの先どんなことが有っても、
強く生きて行かれることでしょう。 ―
そんな光景を、影からドッジ助教授が見ていた。
安堵の表情で。
自分もまた、遠い昔の若い日を回想しているようだった。
大王星は今日も美しい。
眺めの良い、小高い斜面にオーロラ姫は立っていた。
陽射しがオーロラ姫の顔に降り注ぐ。
涙が落ち、頬を伝わり流れたが、その目は毅然と誇らしく、
まさに大王星の女王の風格を漂わせていた。
もう、決して逃げたりしない。
開放された想いを受けとめてくれた彼が、もうずっと
この胸の中にいてくれる。
ギャラクシーエネルギーは、愛。
でも、私は、ずっと一番大切なものを抑えて来てしまった。
それが、ここで生きる者の宿命と思って。
たった一度のわがままを、ごめんなさい。
そして、ありがとう。
私は、しあわせです。
●２００３・１・２８更新
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