スタジン小説 その39
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「優しい秘密」 作・みなこ
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「もし今たったひとつだけ願いが叶うとしたら、何を望みますか?」 唐突にそう切り出されて、オーロラ姫は吃驚した顔を上げた。 いつもと変わらない、穏やかな大王星の午後。 女王と二人で、宮殿の居室で、お茶の時間を楽しんでいた。 そんな、何気ない時に、女王はとても優しい目をしてオーロラ姫に そう問い掛けた。 「どうしたのですか?女王。いきなりそんなこと…」 オーロラ姫の戸惑いがとても可愛らしくて、女王は、思わず 微笑んでしまう。 「ここでの暮らしにもすっかり馴染んで来ましたね、オーロラ姫。 一度この辺でそんなことを訊いてみたかったのですよ」 女王の声は癒されるように優しい。 歳を重ね、老いてなお美しく、その深みを増した慈愛に満ちた姿。 青いドレスからは細い腕が伸び、お茶のカップを支える。 そのままカップを口に運ぶ仕草も、優雅であり気品に溢れていて、 オーロラ姫は尊敬の眼差しをして女王を見つめた。 「そんなことを問われるとは思ってもみませんでしたから…即答に 困ります」 オーロラ姫は落ち着いて、そして、目を少し伏せてそう答えた。 女王は、オーロラ姫の少し寂しげな横顔を眺める。 「私もあなたくらいの時にここで暮らし始めました。その時、やはり 先代の女王にそう訊ねられたのですよ。今、私がそう言う立場に なって初めて、先代女王の気持ちが解りました」 女王の顔もどこか寂しげに見えた。 オーロラ姫は女王の方に向き直って微笑んだ。 「女王はその時、何てお答えになったのですか?」 女王は悪戯っぽい少女のような目をして笑う。 「それはね。…大好きな人と、もう一度会えますようにって」 不思議な気がした。オーロラ姫は何故だか無性に女王のことが 身近に感じられて胸の中が熱くなった。 女王がこんなことを言うなんて。私なんかとは違い、女王はどんなこと にも揺るがない、崇め奉るべき存在で、本当はどこか怖かった。 それが、私のような思いをしていたなんて。 オーロラ姫の瞳が、微かに潤んだ。 「ギャラクシーエネルギーは、愛ですよ、オーロラ姫。そして、私達の 心の中にも、いつも愛する人はいるでしょう?そうでなければいけない。 そして、時にはその気持ちを開放してあげないと駄目ですよ」 女王はそう言って、また少女のように笑った。 オーロラ姫が大王星に来てから、たった一度だけ、お忍びで外界へ 飛び出したことがあった。 4年の歳月が流れ、抑えていた想いがどうしても零れてしまった時が。 オーロラ姫は気がつくとクィーンコスモス号に乗り、青いドレス姿のまま 何かから逃れるようにして宇宙を彷徨った。 愛する人に会いたい、そう思いながらも、やはり心の片隅で、そんな ことは許されないとブレーキをかける自分がいて、思い直す。 心を整理するために、キティ博士がすすめてくれたセレナという星へ 向かった。一人で懸命に堪えた。 けれど、そこへ、予想もせず、クーゴが現れた。 そして。自然な形で、二人は結ばれたのだ。 あの時のことがあるから。 もう大丈夫…。どんなに切なくても、寂しくても、一人でも生きて行ける。 あれから1年経ち、オーロラ姫は更に強く美しくなっていた。 女王はオーロラ姫のたった一度の失踪を、追及しなかった。 オーロラ姫が謝罪に女王のもとを訪れた時、慈しむように微笑んで、 … 何も言ってはいけません、オーロラ姫。 あなたの気持ちは、私が誰よりも解っているつもりですよ … それだけ言葉を渡して、オーロラ姫を沈黙させたのだった。 そして。 あれから女王は沢山のことを思案した。 愛を司るべき者が愛に飢えていてはいけないと。 どんな形でも良いから、この仕組みを少しだけ緩和させる手だては ないかと。 長い年月の中で麻痺してしまった孤独を、オーロラ姫に気付かせて もらった。だから。 「オーロラ姫。特例措置を設けました。銀河系の定期的な報告を司る という項目を。1年に一度だけですが、銀河系の状況を派遣者に 出向いてもらい、報告してもらうのです。その使者は、むろん、あなたを 誰よりも知り、銀河系のためにあなたを守ってここまで供をしてくれた、 ジャン・クーゴ、ドン・ハッカ、サー・ジョーゴの3人です」 女王の、優しい中にも毅然とした言い方に、オーロラ姫は言葉が 見つからず黙ったままだった。 ようやく、静かに顔を上げる。 「女王…。それは…」 オーロラ姫の、喜びと戸惑いが入り混じった表情。 「そうしなければいけなかったのです。いえ、かえって懐かしい者達 との再会は、その後の寂しさを余計募らせるものかもしれません。 けれど、内にこもってしまってはいけない。そんなのは、私の時代だけ でたくさんです…」 女王の、美しい皺が刻まれた顔が、切なく見えた。 その夜、オーロラ姫はベッドの中で眠りにつく前に、女王と話したこと を反芻していた。 … 大好きな人にもう一度会えますように … 女王が言った言葉が、胸の奥で波打つように響いている。 女王。あなたは偉大です。 心の深い深い場所に、きっと私よりもずっと熱く美しいものを持っている。 私も、そうありたい。 これからも、ずっと、忘れずに。 オーロラ姫は心の中に満ち溢れた幸せな余韻と共に、眠りに就いた。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 銀河の流れはあれからずっと落ち着いている。 この平和で安らいだ悠久の営みは、オーロラ姫が守ってくれている。 毎日それを思いながら、もう何年暮らしたのだろう。 クーゴはあれから、切なくてもそれを決して人には見せない。 キティ博士やドッジ助教授の手助けをし、銀河系のためにいつも 忙しく駆け回っている。 底抜けに元気で、明るくて、お茶目で。 まるで、どこも変わらないように振舞って生きているように見えた。 けれど、夜、部屋の窓を開けて、降るような星空をひとり、今まで見た ことのない静かで穏やかな遠い目をして見つめるクーゴがいた。 たまたまそれをキティ博士は目にしていて、何も言わないクーゴの 胸の内が本当は誰よりも深く切ないことを知っていた。 女王の提言を知らされた時、キティ博士も安堵したようだった。 自分にとっても娘のような存在だったオーロラ姫。 そして、その娘を生涯ただ一人想い続けて行こうとしている、息子 のような存在のクーゴ。 たった1年に一度の再会であっても。 それが二人には支えになる。 それに。大事な戦友であり、同志であり、兄弟の絆よりも強い仲間、 ジョーゴやハッカにも会うことが、クーゴや、オーロラ姫には、今を 生きるための何よりのご褒美になる。 ジョーゴやハッカにとっても。前向きな思いに繋がる。 ただ漠然と会うのではなく、使命であり、任務である。 それが会うためのただの名目と分かっていても、それでもいい。 銀河系は変わらなければいけないのかも知れない。 たった一人孤独に耐えて、それで本当の幸せが訪れたとは言えない。 … どんなに高い所へ行っても、オーロラは、私には大事な娘…。 … だからこそ、セレナでの一度きりのクーゴとの逢瀬を許したのだ。 今後はもうそういう形での再会は難しいだろう。 ハッカやジョーゴもいる。でも。 あの時のことをずっと胸にしまったまま、それでも、皆幸せになって 行ける筈なのだ。 キティ博士は静かに深く息を吐いて、自分もどこか開放されたような 荷を下ろしたような気持ちにほっとなった。
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2003・07・05更新