吹いて来る風が、乾いた砂を巻き上げさらって行く。
どこまでもただひたすらに続く砂漠の上空には、灼熱の太陽があった。
ところどころにぽつぽつと生えている、枯れたような草木。
東も西も、南も北も、不明瞭に感じてしまうほど広大な砂の大地の
真ん中を、一人の旅人が必死に歩いていた。
薄いブルーをした半透明のショールで、頭の先まで覆い、その下に
白く長いドレスを纏っていたが、装束もショールも砂混じりの風に
煽られて、歩を進めるのが辛そうに見える。
それでも何かまるで使命を果たさんとばかりに、彼女は先を懸命に
急いでいた。
どのくらい来たのだろうか。
暑さと疲労に眩暈がしそうな体。喉が焼けるように渇く。
それでも私は行かなければ…。
よろめきながらも、最果てを目指すように進んでいた彼女の背後に、
その時嘶きと馬のひずめの音が聞こえて来た。
馬蹄の音は近くなり、やがてそれが複数であることを悟る。
歩みを止め、恐る恐る後ろを振り返った彼女の目に、迫りつつある
黒衣の盗賊衆の姿が映った。
「‥‥‥!!」
彼女の美しい青の瞳に、恐怖と焦りの色が浮かぶ。
逃げようとして、前に向き直り走り出す。
その様子を盗賊達は楽しそうに見つけ、いとも簡単に追って来る。
ただでさえ歩きづらい砂漠で駆け出した勢いと焦りからか、彼女は
つまづいて転んでしまった。
そこへ盗賊達が囲むようにして近付き、馬上からせせら笑うようにして
彼女を見下ろしている。
「おい、こりゃあ上玉だぜ」
一味の一人が、納得の獲物を見つけた目をして仲間に言う。
飢えた男達の視線が、後ずさる彼女を刺すように追いかける。
馬から飛び降りた一人の男が彼女に近付き、白いドレスの手首を
掴んで思い切り引っ張った。
「こいつは丁度いい。楽しませてもらうとするか」
右も左もすべて砂漠、どこへも逃げ隠れ出来ない場所で、彼女は
絶体絶命の窮地に、思わず目を瞑った。
その時だ、またどこからか、新しい馬の駆け寄る音がした。
太陽を背にした救世主が、まさに現れたのである。
「貴様ら!その人を離せ…!!」
鳶色の精悍な馬にまたがり、彼が日除け用に頭から纏っていた
枯れ葉色の大きな装飾布が翻った。
それを荒っぽく払いのけ大地に飛び降りると、腰に身につけていた
剣を抜き、盗賊達の前に立ちはだかった。
強く凛々しい瞳。広い肩に長い足。勇ましいその姿は、圧倒される
ものがある。
しかし盗賊達は怯む様子もなく、数で勝負すれば敵うものだと
たかをくくっている気配だ。
「面白い。やっちまえ!」
8人対1人のバトルの火蓋が切って落とされた。
剣が光を帯び、乾いた大地に砂風は吹き抜け、切迫した瞬間が
訪れた。
けれど、あっけないほど早く、勝負はついてしまった。
8人の盗賊は次々に地に伏して行く。しかし、とどめは刺されない。
「命だけは助けてやる!とっとと消え失せろ」
勇者の大きな声が響き渡り、盗賊は痛手を受けながら、悔しそうに
負け惜しみの捨て台詞を落とし逃げ去った。
賊が立ち去るのを弱々しく地に這ったまま見ていた女性の、風に
煽られたショールがずれて、輝くような金髪が露わになった。
「姫!大丈夫か!?」
敵を倒し、救ってくれた自分に言葉をかけたのは、紛れもないクーゴ
だった。
「クーゴさん…」
オーロラ姫はようやく安堵の瞳をして、儚げに答えると、そのまま
ぱたりと気を失った。
降り注ぐ陽の光がまだ強い。
午後もだいぶ過ぎているし、太陽の位置もかなり傾いて来ている
ものの、砂漠の環境は依然厳しい。
クーゴは携えていた豪奢な剣を砂の大地に突き刺すと、先程の厚い
広幅な装飾布を上に広げて掛け、日除けテントの代わりにする。
肩から斜めに掛けていたもう一枚の飾り布を抜いて、日除けの下の地に
敷く。そして慎重にオーロラ姫を抱き上げると、その上に横たわらせた。
オーロラ姫は憔悴し切っている。このままでは衰弱してしまう。
クーゴは馬の鞍に括り付けてあった水筒を取りに行く。
10キロほど離れたオアシスで汲んで来た、貴重な水が入っている。
オーロラ姫に与えなければ…。
目を閉じたままのオーロラ姫に、水筒の口から水を注ごうとするが、
上手く行かない。クーゴは考えてから、水を自分の口に含み入れ、
オーロラ姫に口移しで飲ませる。
クーゴの口を通してオーロラ姫は水を飲み、ようやく意識を取り戻した。
「姫…!しっかりするんだ、水を飲んで。さあ」
頭の後ろに手を差し入れられ、そして水筒を口元に運ばれて、
オーロラ姫は残りの水をありがたく頂戴した。
オーロラ姫が気が付いたのに安心して、クーゴは優しく言う。
「しばらく休んでいるといい、姫。俺がここで見張っているから、何も
心配しなくていいよ」
オーロラ姫は弱々しく微笑みながら、クーゴに見守られ、もう一度
眠りに就いた。
次にオーロラ姫が目を覚ましたのは、ようやく陽も落ちて、砂漠の
空に黄昏が満ち始めた頃だった。
疲れも渇きも落ち着いて、オーロラ姫はクーゴに助けられた自分を
改めて思い知る。
この美しい布はクーゴさんの…。
私のためにクーゴさんが辛い思いをしているのでは…。
彼女は起き上がり、日除けになってくれていた布から顔を出し、
前を見た。
クーゴは馬の毛並みを撫でながら、暮れて行く美しい薄紫色の空を
立って見ていた。
その後ろ姿が、オーロラ姫の目にとても逞しく美しく映って、彼女は
高鳴る胸を抑え切れない。
クーゴが気配に気付き、振り返った。
安心した嬉しそうな笑顔を見せる。
「姫。大丈夫かい?」
こちらへ静かに歩いて来るその姿。
黄昏を背に、クーゴの茶色い髪が風にそよぐ。
クーゴは、白っぽい晒した綿素材の上衣を羽織り、下にはカーキ色
をした麻のラフなパンツ姿。
焦茶色の革で編まれたサンダル様式のものを、素足に履いている。
キャラバンが着用している装束よりもずっとくだけた感じで、どこにも
属さず見慣れない姿だったが、エスニックなその雰囲気は、彼に
意外にも良く似合っていた。
「もうすっかり大丈夫です…。ありがとう、クーゴさん。…私のために
こんなにして頂いて。あなたこそ暑さが辛かったでしょう。ごめんなさい」
クーゴは何ともなさそうに笑ってみせる。
「全然平気さ。姫のためなら暑さなんか苦じゃねえよ」
暮れなずむ砂漠に涼やかさを取り戻した風が吹いて来て、オーロラ姫
の頬に触れ金の髪を優しくなびかせて行く。
夕景の色に染まってひときわ美しい彼女の顔をクーゴは見つめ、
ひとこと感慨深げに呟いた。
「…綺麗だ。何て綺麗なんだ…姫」
オーロラ姫が肩に羽織っていたショールの縁飾りの、金の小さな鈴
がちりん、と澄んだ音をさせた。
オーロラ姫はクーゴを見つめていた。
クーゴも同じようにオーロラ姫を見つめ、跪くと、そのまま吸い込まれる
ようにして彼女の唇に口づけた。
一旦唇を解くと、オーロラ姫ははにかんで下を向く。
次に目に入って来たのはクーゴの鎖骨。上衣の襟元が少しはだけて、
そこから陽に灼けた美しい素肌が覗いている。
胸がきゅんとなって、オーロラ姫は顔を横に逸らす。
クーゴはオーロラ姫の一連の動きを見て取り、もう一度彼女の頬を
手で包んでキスをした。
先程のような優しい触れ合いではなく、攻めるように情熱を込めて、
長く長く繰り返されるキス。
オーロラ姫は惑わされ、酔ったようになり、一瞬吐息を乱す。
けれど、途切れ途切れになりながら、かろうじて抵抗する。
「駄目…クーゴさん…」
無理矢理自分の気持ちを押さえ込もうとしているオーロラ姫を知ってか、
クーゴはわざと駄々をこねてみせる。
「嫌だ。離さない」
抱きしめる腕の力が強くなるのが分かる。
離さないで…。
本当は私もそう思ってる。でも…。
オーロラ姫が切なくそう思った次の瞬間、衝撃が静かな黄昏の二人を
襲った。
「うっ……!!」
クーゴが小さな呻き声を上げ、そのまま崩れるようにして倒れた。
背中に、射られた矢が貫通している。
白い上衣が、みるみる赤く染まって行く。
遠くの方で、盗賊の残党らしき影が、逃げ去るのが確認出来た。
「嫌…!!クーゴさん!!クーゴさん…!!」
オーロラ姫は自分の胸にクーゴを抱きかかえ、声を限りに泣き叫んだ。
クーゴはそれでも幸せそうな笑みを残し、朦朧とする意識の中で、
彼女の声を聞いていた。
オーロラ姫は、自室のベッドで目を覚ました。
ここは…そう、クィーンコスモス号の中。
さっきまでのは夢。
そう理解するには余りにもリアルで、オーロラ姫は深く溜め息を吐いて
心を落ち着ける努力をした。
枕元には、眠りに落ちる前まで読んでいた本が一冊置かれたまま。
遠い遠い、遥かな昔のお伽話…地球のアラビアが舞台の…。
何であんな夢を見たのかしら…。
本のせいかしら。
本当にあの時代にタイムスリップしたようだった。
でも、やはり夢…。だって、たった一人で砂漠を歩くのなんて有り得ない。
だけどそれは、こうして私の使命を、たった一人しか果たせない使命を
表していたとも言える。
クーゴさんの服装も、民族色はそんなに感じなかった。でも、それが
却って自然で素敵だった。
ここまで反芻して、オーロラ姫はふと身震いした。
締め括られた夢の結末を、思い出してしまったようだった。
襲われそうになるのは、現状を表しているから仕方がないとして、
クーゴさんと…あんな…。
その上、あんなに強いクーゴさんが、最後に討たれてしまうなんて…。
絶対あってはならないことなのに…。
オーロラ姫はもう一度目を閉じ、思いを深く探るように考える。
長い道のり。苦難の旅。でもクィーンコスモス号は、もうすぐギララ星系
を抜けようとしている。
ここまでこうして全員揃って何とか来れたのは、もしかしたら強い運が
あったからかも知れない。
ただ強いだけでも、ただ祈るだけでも、来れなかったかも知れない。
一歩間違えれば、とっくに果てていたかも知れない命。
だから、今に感謝しなければいけない。
明日何とかしようと思っていても、明日が必ず来ると誰にも分からない。
だとしたら…。
私はまだ心に思いを残したままで、終わらせたくないことがある。
大事なのは今。一瞬の今だとしたら…。
オーロラ姫は起き上がった。
ナイトドレスから、ピンクの普段のドレスに着替えると、部屋を出て
コクピットへと歩いて行く。
交代でただ一人、操縦を任されている筈の、クーゴの元へと。
<「星の誘惑」に続く。>
●2004・03・11更新