＜１／３＞
水の惑星の海の景観が美しい場所。
そこに少年が一人、立っていた。
背中で一つに纏めた髪が、風に吹かれてなびいている。
年齢よりは大人びた面立ち。
利発そうな瞳は、対岸を見つめている。
その時海が波打ち、海中から、マシンの一団が飛び出て来た。
海上を走るように飛行し、空へと向かい、大きく旋回した後、少年が見つめて
いた対岸へと降りて行く。
この星の警備隊の基地へと。
（いつか、ぼくも警備隊に入るんだ）
少年は夢見ていた。
その少年のもとへ、ゆっくりと大地を踏み締める足音が近付いて来た。
「訓練は、終わりのようだな。もうすぐ夕暮れだ」
少年が振り向いて、近付いて来た人物に笑いかける。
「父さん」
父親は少年に似ていた。
いや、少年が父親の真似をしているのかもしれない。
同じように後ろで纏められた髪をなびかせ、知的な雰囲気を持っている父親。
違う所は、父親が眼鏡をかけている所か。
眼鏡越しでも、慈しむような眼差しは、少年を安心させる。
「ジョーゴ、そろそろ帰るぞ。母さんとフローリアが、向こうで待ってる」
今日は家族揃って、海辺へ遊びに来ていたようだ。
父はジョーゴの頭を優しく撫でて、帰りを促す。
「うん。あ、ねえ、父さん。ぼく、警備隊に入れるかなあ？」
「ほう。ジョーゴ、お前は警備隊員になりたいのか」
初めて聞く息子の夢。だが、父は突然の事にも驚かなかった。
「お前は学校の成績は良いから、それは心配ないが、勉強は怠らず、
体を鍛えて、日頃の行いを正しくしていれば、夢には自ずと近付くものだ」
「解ってるけど〜、隊員になれる確立を、父さんに計算して欲しいんだ」
「なんだ、そういう事か」
父は苦笑して、懐から電卓を取り出した。
これは、彼が趣味で作った人の心まで計算する事が出来る電卓だ。
ジョーゴの父は、優秀な科学者であった。
「ふ〜む…」
冷静な眼差しで計算する父を、ジョーゴはドキドキして見ていた。
ピッ！と答えが出た瞬間、父は目をつぶった。
「えー、どうしたの、父さん」
ジョーゴが不安に駆られる。警備隊員になれる確立が凄く低いとか？
父は電卓をジョーゴに見せる。答えは97％。
「よかったぁ！！」
ジョーゴは大喜びである。
「かなり厳しく計算したつもりだったが…だがな、ジョーゴ。この答えに安心
して何かとサボると、警備隊員になれなくなるぞ」
「大丈夫！ぼく頑張るよ！」
ふむ。この答えは、さらに息子のやる気を起こさせたようだ。
父が穏やかに微笑みかけると、ジョーゴは照れたように笑い返す。
そしてどちらからともなく手を繋ぎ、母と妹のもとへ歩き出した。
今日は父の誕生日。
テーブルにはいつもより豪華な食事と、ケーキが並んでいた。
そのケーキを今にも食べたそうに、フローリアが見つめているのに気付いて、
ジョーゴは苦笑した。
「まだだよ、フローリア」
優しくジョーゴに窘められて、フローリアが赤くなる。
「うん…遅いね、お父さま」
「でも今日は帰って来るって言ってたからね。もうすぐ帰って来るよ、きっと」
ここ数日、ジョーゴの父は研究室に泊まり込んでいたが、家族が自分の誕生日
を祝ってくれる今日は、家に帰ると連絡があった。
ジョーゴの父は、妻や子供の誕生日、結婚記念日などは、細やかな心遣いを
する人であった。
子供の自分から見ても、いつまでも新婚のような両親。
だからこそ、研究に追われていても、妻や子供が祝ってくれるとなれば、
真っ直ぐに家に帰って来るはずだと、ジョーゴは思っていた。
「ねえ、お兄さま。お兄さまは、お父さまへのプレゼントは何にしたの？」
「ぼくは…」
ジョーゴが答えようとした時、テレビ電話のコールが鳴った。
母が受けると、画面に父と同じ研究室の研究員が映った。
彼は、父が倒れたと告げた。
倒れた父は、そのまま帰らぬ人となった。
ジョーゴは再び、警備隊基地の対岸に立って、風に吹かれていた。
その手には、電卓が握られている。
父の形見となってしまった電卓。
ジョーゴは震える指先で、電卓のボタンを押そうとして、止めた。
「まだ、ぼくには早過ぎる…」
そう呟いた途端、ジョーゴの瞳から涙の粒が零れ、電卓を濡らした。
何故そう思ったか解らない。
父に計算してもらいたかった。
それはたくさんあるのに。
教えてもらいたい事が。
まだまだ、父に甘えたかったのに。
「父さ、ん…」
涙が止まらない。
母や妹の前で泣かなかった分まで、溢れてくるようだった。
そんなジョーゴの頬を、慰めるように風が撫でて行く。
『ジョーゴ。母さんとフローリアを頼む』
父が言ったのか、風が言ったのか。
ジョーゴは手の甲で涙を拭いて、毅然と前を見つめた。
「父さん、安らかに眠ってよ。母さんとフローリアは、ぼくが守るから」
ジョーゴは賢く大人びた子供だったが、この時、本当に大人になってしまった
のだ。
ジョーゴ達は父の残してくれたもののおかげで、不自由なく暮らして行けたが、
母は、愛する夫を亡くした悲しみを忘れるように働いて、そして体を壊して
しまった。
「ジョーゴ、ごめんなさいね…」
ベッドに体を横たえた母が、目を閉じたまま言う。
「母さん、どうして謝るんだよ。気をしっかり持って」
ジョーゴは必死に母を励ます。
「あなたとフローリアを置いていくこと、許してちょうだい…」
母は目を開け、ジョーゴの手を取って詫びる。
「母さん！そんなこと言っちゃ、駄目だ！生きるんだ！」
痩せた母の手をぎゅっと握り締める。
母は弱々しく頭を振った。
「母さん…！」
ジョーゴは唇を噛み締める。
自分は母を守れなかったのか。父に約束したのに。
「ジョーゴ。あなたは母さんの誇りよ。とても支えになってくれた。
でも、母さんは、父さんに会いたいの…」
ああ、そうか。
ジョーゴは俯いた。
父の代わりに、懸命に母を守って来たつもりだったが、父にはなれなかった。
愛する人を亡くして、魂の半分を失っては、母は生きて行けない人なのかも
しれない。
顔を上げて、ジョーゴは母に優しく微笑んだ。
「解ったよ、母さん。フローリアの事は、僕に任せて」
「フローリアは、あの子は、体が弱いから…」
「心配しないで。僕が気を付ける。父さんと母さんの分まで、僕とフローリア
は生きて行くからね」
母を失う悲しみを堪えて、ジョーゴは言った。
「ありがとう、ジョーゴ。ごめんね…」
それがジョーゴの聞いた母の最期の言葉である。
ジョーゴはフローリアにとって、兄であり、そして父でもあり、母でもあった。
だが、妹も、ジョーゴにとって、母であり姉のようでもあったのだ。
兄妹二人きりになり、ジョーゴは警備隊員への夢を一時諦めかけた。
危険と隣り合わせの仕事である。
特に近年は、スペースモンスターが現われ、危険度が増している。
フローリアに心配をかけたくなかったのだ。
だが、迷い悩むジョーゴの背中を押したのは、意外にもフローリアだった。
「警備隊員になるのは、お兄さまの子供の頃からの夢ですもの。諦めないで。
私達みんなを、この星を守って、お兄さま」
いつかの母のように、ジョーゴの手を取って、言う。
その手は温かく、フローリアは凛としていた。
「強くなって、お兄さま。お兄さまが強く、元気でいてくれると、私も元気で
いられるの」
「フローリア…」
妹は、いつのまにこんなに心が強くなったのだろう。
ジョーゴは胸が熱くなった。
「危険なお仕事だけど、必ず帰って来て。フローリアが、いつでもお兄さまを
迎えるから」
「フローリア、ありがとう…！」
ジョーゴは感謝の気持ちを込めて、フローリアを抱き締めた。
ジョーゴはサイボケーション手術を受けてサイボーグとなり、警備隊へと入隊
した。
優秀な頭脳と冷静な判断力、戦う力にも優れ、ジョーゴは順調にキャプテンへ
と昇格するが、またしても悲しい出来事に見舞われる。
優しい妹のフローリアも、ジョーゴを置いて、両親のもとへ逝ったのだ。
（とうとう俺は一人ぼっちか……いや、でも、父さんも母さんもフローリアも
心の中にいる。それに、父さんのお守りがある）
頼りにしている愛用の電卓は、肌身離さず持っているお守りでもある。
ジョーゴは寂しさを振り払うように、仕事に精を出す。
部下達を厳しく鍛え、一人前の警備隊員にすることが、ジョーゴの役目。
勿論、厳しいだけでなく、仕事を離れている時はおどけたり、お茶目な部分も
見せたりするので、部下や同僚から、ジョーゴは慕われていた。
そんなある日、ギャラクシーエネルギーが弱まった影響で、天変地異が起こり、
水の惑星は崩壊し、二つに別れた星は、離れ離れになった。
ジョーゴも仲間達と離れ離れとなってしまった。
（一人になっても、この星は、この豊かな水は、俺が守る）
そう思っていたジョーゴだが、一人では限界があった。
あの時、クィーンコスモス号が水の惑星に来なかったら。
（俺は未だに一人だったかもしれない……）
初めて心から、命を賭けて愛した、いや今でも愛している女性・オーロラ姫。
かけがえないのない友・クーゴとハッカ。
彼らと出会えた幸せ。
けれど……。
今は離れ離れだ。
『寂しくはありません。姫に会いたくなったら、水の惑星から、大王星を眺め
ますから』
オーロラ姫との別れの時、彼女に優しく言ったジョーゴ。
（だけど本当は……寂しいんだ。姫が傍にいないのは）
永遠の別れのような気がしたが、その後、故郷の星だけではなく、銀河宇宙の
平和のために活動していたら、大王星へ訪れる事を許された。
それでも、軽々しく会う事は出来ない、オーロラ姫とは。
クーゴとハッカにも、互いに忙しいため、なかなか会えない。
（どうしたサー・ジョーゴ。寂しがる年でもないだろう。男なら、強く……）
ジョーゴは自分に言い聞かせていたが。
「……テン。キャプテン！」
「ジョーゴってば、起きてよー」
二つの手に揺り動かされて、ゆっくりと目を開けた。
「……モンパ…リリカ…？」
目の前には、心配そうな顔があった。
「俺は…どうしたんだ…？」
記憶があやふやで周りを見回すと、どうやら自宅のリビングルームだ。
「ジョーゴ、うたた寝してたんだけど……」
「ああ……寝惚けちまったか、俺は」
今日から休暇で、ソファで寛いでいたことは思い出したジョーゴだった。
「なんだ。気持ち良く昼寝してたのに、起こすなよ」
「気持ち良く？とてもそうは思えなかったよ。ジョーゴ、何か辛い夢でも見た
の？悲しい顔してたから、つい起こしちゃったの。ごめんね」
「……俺は、何か寝言を言ってたか？」
そう訊くと、リリカはジョーゴから目を逸らして言った。
「フローリアとか呟いてた……」
オーロラ姫の名前も聞こえたが、リリカは口に出せなかった。
ジョーゴは溜息を吐き、
「そうか……いや、昔の夢を見てたんだよ。気にしないでくれ、リリカ」
立ち上がって、リリカの肩に手を置いた。
それでもリリカは心配そうに眉を寄せたが、ジョーゴに頷いた。
「で？モンパ、お前は何故ここにいるんだ？」
「あ、はい。実は先程、基地の方に、地球のキティ博士から通信が入ったん
です。しかし、ジョーゴキャプテンは今日から休暇だと伝えると、また連絡
すると仰ってました。一応、キャプテンにお知らせしようと思って…」
知らせるだけならテレビ電話があるのに、自宅まで足を運ぶとは。
さては、リリカに会いたかったんだな。
まあ、そういう突っ込みは後でするとして、キティ博士からの通信があったの
なら、それが優先だ。
「そうか。わざわざすまないな、モンパ」
ジョーゴは自室に向かおうとした。
警備隊の基地にキティ博士とのホットラインがあるが、ジョーゴの自室にも
引いてあるのだ。
「ちょっと待ってよ、ジョーゴ。疲れてるんじゃないの？ここのところ、
ずっと忙しかったし、今は休暇中なんだから、ゆっくり休みなよ」
リリカが怒ったように言う。
「そういうわけにはいかないさ」
と言ってリビングルームを出ようとしたが、振り返り、
「リリカ、心配してくれて、ありがとう」
ウインクを送って出て行った。
「もう…仕方ないなあ…」
リリカは寂しそうに呟いた。
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●２００３・０６・２４更新
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